大学では、日本史を専攻。戦国時代に魅力を感じ、武将では織田信長が大好きでした。卒業後は、大手保険会社に就職が決まっていましたが、卒業も近づいたある日、ふとつけたラジオから流れてきたのが、ジミー•スミス(Jimmy Smith 1925-2005)が演奏するハモンドオルガンの音色でした。ハモンドオルガンのジャズレジェンドが奏でる音楽に、その時、山本さんは、打ちのめされるほどの衝撃を受けてしまったのです。運命のいたずらか、その後まもなく新聞にエース電子工業というハモンドオルガン販売代理店の営業職募集の広告が掲載され、絶対に採用されるという意気込みで出かけると当然のように採用。そこから山本さんのハモンドオルガン人生が始まりました。日本の高度経成長期真っ只中、1970年のことでした。
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山本さん、20歳の頃、お父さんと一緒に
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ハモンドオルガン(Hammond Organ)は、電気楽器の一種で、1934年にアメリカの発明家、ローレンス・ハモンド(Laurens Hammond , 1895 –1973)によって発明されました。建物に作り付ける高価なパイプオルガンのパイプの代わりにトーンホイールという歯車状の磁性金属製の円盤を回転させて、近接して設置された電磁ピックアップにより磁界変化の波を音源として出力する電子楽器です。(Wikipediaより)
ハモンドオルガンの奏でる音は独特な合成音で空気感に富んだ深みのある音で、高価なパイプオルガンを設置できないアメリカの教会で広まってゴスペル音楽に採用されました。それから、ジャズやロックなどのジャンルに広がって行ったのです。日本ではメンソレータムを普及した実業家として知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories, 1880-1964)が輸入代理店となって紹介して普及し、後にNHKなどのテレビ番組でも演奏が放映されるようになって広まって行きました。特に高度経済成長期には、人々は西洋の音楽に目覚め、スタイリッシュなハモンドの音色に傾倒する人が増えました。 |
ハモンドオルガンB3とレスリースピーカー
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オルガンの仕事をするようになって、山本さんが一番嬉しかった時は、彼の人生を変えたジミー・スミスやDr.ロニー・スミスに出会えた時です。1973年に大阪のフェスティバルホールでオルガンコンサートがあり、その後大阪にブルーノートでも演奏がありました。山本さんがオルガンを貸し出すことになり、それがきっかけで交流が始まって親しくなりました。人生を変えてくれたジミーの生演奏を初めて聞いた時は、言葉にあらわせないほどの至福の時間だったそうです。
気さくで楽しい性格の山本さんのオルガンにかける情熱は徐々に広がり、ブラザー・ジャック・マクダフ(Brother Jack McDuff 1916 - 2001)、ジミー・マクグリフ(Jimmy McGriff 1936 – 2008)、ロニー・スミス(Lonnie Smith 1942 – 2021)、トニー・モナコ(Tony Monaco 1959~)、ジョーイ・デフランチェスコ(Joey Defrancesco 1971~)、という世界のトップオルガン奏者たちとも親交を深めるようになり、日本のハモンドオルガンはYamamotoと、世界のオルガン界でも知られるようになって行きました。 |
人生を変えたジミー・スミスと山本さん
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現在日本のジャズオルガン界を支える橋本有津子、小野みどりなどの日本のオルガン演奏者が世界へ羽ばたいて行けるよう山本さんは長い間に渡って、有名オルガン奏者の日本公演で飛び入り演奏を実現させたり、アメリカのオルガン関係者と共同でアメリカのジャズフェスティバル出演やツアーを実現させてきました。また外国からやってくる演奏者の日本公演、オルガンサミットなども企画、実現させています。
大阪のハービスという大きなショッピングモールに無声映画の時の伴奏をする楽器だったアーレンシアターオルガンという大掛かりなシアターオルガンを導入したり、京都の結婚式場にハモンドオルガンを導入して結婚式を優雅なハモンドオルガンの生演奏で演出したりなど、思いつくことは全部やりました。 |
結婚式場に納めた白いハモンドオルガン
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